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脳卒中の今

脳卒中後に硬く緊張した手足の筋肉をボツリヌス毒素でほぐす ( 2012/03/26 )

 脳卒中の主な後遺症として手足の痙縮(けいしゅく)があります。痙縮とは、筋肉の異常な緊張(つっぱり)をもたらす症状です。痙縮が悪化すると、自分の意思で体を動かしづらくなるばかりか、介護者の力を借りても関節を動かせなくなり、着替えや入浴などの日常生活動作に支障をきたすこととなります。日本では現在、この痙縮に対する治療法として、しわ取り効果を有することでも知られているおなじみのある薬剤が注目されています。

 脳卒中後の一般的な後遺症に痙縮があります。痙縮は、脳卒中後の患者の65%以上が発症すると言われるほどで、脳卒中後遺症として痙縮症状を有する患者数は全国で約55万人存在すると言われています。痙縮とは筋肉を動かす神経の障害から生じる症状で、筋肉が異常に緊張した状態となります。過剰な筋の収縮により関節の可動域が制限され、衣服の脱着や入浴などが不便となります。患者が困るばかりでなく、それを手伝う介護者の負担も増加してしまいます。

 この痙縮に対して、神経毒素を用いる治療法が日本でも受けられるようになりました。厚生労働省は2010年10月、A型ボツリヌス毒素製剤(商品名ボトックス)の新たな適応として、上肢(腕や手指)と下肢(脚や足指)の痙縮を対象に利用することを認めたのです。

木村先生

「下肢へのボツリヌス療法によって、患者さんの歩行速度が約2倍速くなりました」と話す慶應義塾大学リハビリテーション医学医工連携担当の木村彰男教授



 ボツリヌス毒素とは、ボツリヌス菌が作り出す神経毒素で、筋肉を動かす神経から放出される伝達物質(アセチルコリン)をブロックする作用を持ちます。日本でも15年以上前から、まぶたや顔面のけいれんをはじめとする病気の治療に広く使用されており、しわ取り効果を有することでも有名です。

しわ取りの薬がなぜ痙縮に有効なのか

 しわ取りにも利用される薬が、なぜ脳卒中後遺症の治療に使われるのでしょうか。ボツリヌス毒素の注射後にしわ取り効果が得られるのは、表情じわを生じる筋肉の収縮が抑制され、その筋肉が弛緩するためです。一方、脳卒中や脳性麻痺、頭部外傷などに由来する痙縮の治療でも、ボツリヌス毒素は筋肉を弛緩させることで効果を発揮します。すなわち、どちらの用途でも原理は同じということです。

 痙縮が生じると、筋肉を動かす神経の障害により、手足を動かそうとする筋肉の働きが障害されます。具体的には、関節を曲げるための筋肉と伸ばすための筋肉がしばしば同時に収縮してしまい、「伸ばそうにも伸びない」「曲げようにも曲がらない」ということになるのです。このような筋収縮のアンバランスは、ボツリヌス療法により過剰な筋緊張を抑えることで軽減できます。

歩行速度を約2倍に改善

 国内における上肢痙縮、下肢痙縮に対するボツリヌス療法の臨床試験では、プラセボ(偽薬)との対比により、有意に筋緊張を減少させることが確認されています。さらに、上肢では着衣動作などの改善、下肢では歩行速度などの改善も示されました。

 同臨床試験を取りまとめた慶應義塾大学リハビリテーション医学医工連携担当の木村彰男教授は、「下肢へのボツリヌス療法によって、患者さんの歩行速度が約2倍速くなりました」と説明しています。

既存の治療法に比べて簡単な手技

 痙縮に対する既存の治療法としては、リハビリテーションの実施に加えて、中枢性筋弛緩薬(チザニジンやバクロフェンなど)の経口投与が行われています。しかし、「全身に作用する経口薬は、投与量を増やすと脱力などの副作用が生じやすくなります。そのため、投与量に上限があり、十分に効果を得られない場合が少なくありません」と、木村教授は説明します。

 経口薬で効果が十分得られない患者に対しては、フェノールブロックなどの神経ブロック(フェノールなどの神経破壊薬を末梢神経が筋肉に入り込む部位(モーターポイント)に直接注入し、その神経の伝導を遮断する治療法)が選択肢となっていました。ただし、フェノールブロックに関しては、「特定のモーターポイントを狙う必要があることから手技が難しく、実施可能な医師が限られる」(木村教授)という問題があります。

 新たな局所療法となるボツリヌス療法は、「神経ではなく、筋肉に注射をするだけなので難易度は下がります」と木村教授は評価しています。もちろん、入院も不要ですので、患者にとって受けやすい治療です。

 日本国内の脳卒中専門家により診療の目安として取りまとめられている「脳卒中治療ガイドライン2009」では、痙縮に対するリハビリテーションとしてボツリヌス療法を推奨グレードA(行うよう強く勧められる)としています。同じ局所療法である神経ブロック(フェノールやエチルアルコール)の推奨グレードB(行うよう勧められる)よりも、推奨グレードは高くなっています。手技の難易度が低く、かつ推奨グレードも高いことから、今後、痙縮へのボツリヌス療法は広がりそうです。

この治療法は、リハビリテーション科や神経内科、脳神経外科などで受けることができます。

公的助成を利用できる場合も

 上肢・下肢の大きな筋肉に対して効果を及ぼすためには、十分量のボツリヌス毒素を投与する必要があります。ボツリヌス毒素製剤の薬価は100単位製剤の場合9万2249円ですから、下肢痙縮に対して1回投与量の上限(300単位)を投与した場合、薬価は27万6747円です。健康保険で3割負担なら8万3024円、1割負担なら2万7675円となります(以上、2012年2月現在)。

 また、一般的にボツリヌス療法の効果は、3〜4カ月にわたって持続するといわれています。言い換えれば、基本的には3〜4カ月ごとの繰り返し投与が必要ということです。決して安価とはいえず、繰り返し投与が必要な薬剤とあって、使用時には治療効果と費用とのバランスも考慮する必要があります。

 各自治体では身体障害者への医療費助成を行っており、身体障害者手帳を取得すれば自己負担額の全額または一部が免除される場合もあります。また、医療機関に支払う1カ月の自己負担額が一定限度額を超えた場合、超過分の払い戻しを受けられる「高額療養費制度」もあります。身体障害者への医療費助成の内容は自治体によって異なりますが、このような助成を利用することも検討すべきでしょう。

※ボツリヌス薬価は、2020年10月末現在、100単位68,579円。下肢痙縮に対して1回投与量の上限(300単位)を投与した場合、薬価は20万5,737円です。健康保険で3割負担なら6万1,721円となります。

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