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脳卒中インタビュー

慶應義塾大学医学部精神・神経科学教室教授 三村將先生に聞く

慶應義塾大学医学部精神・神経科学教室教授
三村將先生に聞く

脳卒中後遺症による制御困難な「怒り」を改善する
高次脳機能障害への認知行動療法の可能性

( 2021/09/24 )

三村將(みむら・まさる)

慶應義塾大学医学部精神・神経科学教室教授。医学博士。1984年慶應義塾大学医学部卒業。米ボストン大学研究員、東京歯科大学市川総合病院専任講師、昭和大学助教授等を経て、2011年慶應義塾大学医学部精神・神経科学教室教授就任。専門は神経心理学、老年精神医学、認知リハビリテーション。

ポイント

  • 高次脳機能障害とは、脳卒中や事故などの後遺症として、人間だけが持つ高度な脳機能に障害が生じるものです。
  • 高次脳機能障害によって、感情のコントロールが難しくなって衝動的に怒ってしまうなど、家庭や職場での対人関係でトラブルを抱えてしまう患者さんもいます。
  • 慶應義塾大学では、高次脳機能障害による「怒り」に焦点を当てたプログラムを開発し、効果を検証する研究を実施しています。
  • 高次脳機能障害によって注意力や記憶力に問題があっても理解しやすいよう、視覚的なツールを多用しています。
  • 将来的には、体系化されたプログラムとして他院で実施したり、オンラインで実施したりすることも検討されています。

 脳卒中や事故などが原因で生じる高次脳機能障害によって感情のコントロールが難しくなり、対人関係に支障が出て、家庭や職場で問題を抱えるケースが少なくありません。特に、激しい怒りがコントロールできない患者さんに対するリハビリテーションの開発は急務となっています。慶應義塾大学では、高次脳機能障害によって生じる激しい怒りを改善するために、うつ病などの治療に使われている認知行動療法の独自プログラムを開発し、効果検証試験を進めています。慶應義塾大学医学部精神・神経科学教室の三村將教授にお話を伺いました。

病気や事故の後、目に見えないさまざまな困難が生じる

高次脳機能障害とは、どのような障害なのでしょうか?

 高次脳機能障害とは、脳卒中などの病気や、事故などによる頭部外傷によって脳が損傷し、その後遺症として言語、記憶、学習、思考など、人間だけが持つ高度な脳機能に障害が生じている状態です。以下のような症状がみられます。

 こうした症状の中で、最近注目されているのが社会行動障害です。

高次脳機能障害でみられる主な症状

高次脳機能障害でみられる主な症状
なぜ社会行動障害が注目されているのでしょうか?

 社会行動障害によって、社会に適応することが難しくなり、仕事や家庭などに大きな影響が出てしまうからです。

 社会行動障害では、相手の気持ちがうまく理解できない、相手が怒っていてもそのことが理解できない、感情がコントロールできず衝動的に怒ってしまう、といった問題が生じます。例えば、家族に怒りをぶつけたり、暴力をふるったりしてしまうことがあります。高次脳機能障害患者の家族を対象に、「最も精神的負担となっている事柄」を尋ねたアンケート調査では、怒りを含めた「性格の変化」と答えた人が約半数に上り、全アンケート項目の中で最も多くなりました。また、職場での人間関係がうまくいかなくなって、仕事が続けられなくなったり、衝動的に退職してしまったりするケースも見られます。

 高次脳機能障害の患者さんは、病気や事故の前までは通常の社会生活を送ることができていました。高次脳機能障害は手足の麻痺など目に見える障害もありませんので、周囲の人も障害があることを理解しにくく、社会復帰がますます困難になってしまうのです。

薬など、治療する方法はないのでしょうか?

 高次脳機能障害の症状は薬を使ってもあまり良くならない傾向にあり、リハビリテーションで機能の回復を図ることになります。しかし、社会行動障害のある患者さんの場合、「すぐ怒ってしまう」といった理由で、リハビリテーションも円滑に進まないことがあります。

高次脳機能障害向けの独自プログラムを開発

慶應義塾大学で実施されている研究の内容について教えてください。

 社会行動障害の中でも「怒り」に焦点を当てた研究を行っています。高次脳機能障害によって怒りのコントロールが難しい患者さん向けに、「認知行動療法」という精神療法を使ったプログラムを開発しました。

 認知行動療法とは、物事の見方・考え方(認知)や行動を変えることによって、心の状態の改善を図る方法です。例えば、コントロールできない怒りに悩まされている場合、怒りのきっかけになった出来事は何か、その出来事をどう捉えたか、体にはどんな感覚が湧いてきたか、どんな気持ちになったのか、どんな行動を取ったのか、といったことを振り返ります。そして、怒りに繋がっている自分の考え方の癖に気づいたり、同じような感情が湧いてきたときにその場を立ち去って一呼吸置くなど、行動を変えたりすることによって、怒りの悪循環を断ち切れるようにするのです。

 認知行動療法は、既にうつ病や不安障害などに対する治療法として効果が実証されており、公的医療保険が適用されています。この認知行動療法を、高次脳機能障害の患者さんに使用し、怒りの制御に効果があるかどうか調べるのが今回の研究になります。自らを見つめ直すことによって、衝動的に怒ってしまうのではなく、一呼吸置いて立ち止まることができるようになり、それによってトラブル回避に繋げられることが期待されます。

今回開発されたプログラムと、通常の認知行動療法との違いは何ですか?

 開発したのは、視覚的なツールを用いた認知行動療法(V-CBT)です。内容は通常の認知行動療法と変わりません。しかし、高次脳機能障害の症状によって内容を理解できなかったり、すぐに忘れてしまったりして、認知行動療法を実施するのが難しいケースもあります。こうした患者さんに対する治療を進めやすいように、イラストや図解などの視覚的ツールを多用して、直感的に内容を理解できるような工夫をしています。

 現在、慶應義塾大学病院と協力医療機関では、このV-CBTを集団プログラムと個人セッションの2形態で提供し、研究を行っています。個人セッションは、専門家と1対1でしっかり取り組むプログラムです。一方、集団プログラムは、一度に3~4名が参加し、半日ほどかけて取り組みます。個人セッションよりも頻度や時間は少なくなりますが、他の患者さんと一緒に取り組むことで、互いに学び合うことが可能になります。期間はどちらも2~3ヵ月です。

現時点では、V-CBTによってどのような成果が得られていますか?

 V-CBTを受けることで、怒りのレベルを測定するスケールの値が改善(減少)しています。ほとんど怒らなくなった、という患者さんもいます。怒りが生じる背景には、劣等感や寂しさなど、「本音」となる別の感情が隠されていて、怒りはあくまでもその「帰結」として生じるものです。このプログラムを通して、自分自身の怒りの背景にどのような感情があるのか気づけるようになり、怒り以外の感情も癒やされたという患者さんもいます。

将来的には他院や遠隔での実施も検討

現在、V-CBTを受けることはできますか?

 今回の研究に参加いただければV-CBTを受けることが可能です(ただし、参加条件を満たす必要があります)。平日に慶應義塾大学病院まで定期的に通院していただく必要がありますが、高次脳機能障害で怒りのコントロールに悩んでいる患者さんで、来院が可能な方には、是非ご連絡いただきたいと思います。

http://psy.keiomed.jp/research/29.html

 上記URLの遷移先は、個人セッションの募集内容となっていますが、集団プログラムのご希望も、こちらで同時に承っております。お問い合わせの際に、どちらのプログラムをご希望かも、あわせてお伝えいただけましたら幸いです。

将来の展望をお聞かせください。

 今回の研究でV-CBTの効果が実証されれば、体系化されたプログラムとして他院でも受けられるようにしたいと考えています。また、オンラインで実施することもできるでしょう。既にうつ病など他の疾患では、オンラインの認知行動療法が行われています。さらに、認知症など他の疾患に適用することも検討しています。

 近年、脳の研究も進み、認知行動療法は、脳自体にも影響を与えることが分かっています。うつ病の患者さんで脳の状態を詳しく調べたところ、うつ病によって低下していた脳の機能が、認知行動療法を受けることで改善されていました。高次脳機能障害ではまだ詳しく研究していませんが、うつ病と同じように、認知行動療法によって脳自体の機能改善が期待されます。

 さらに、アルツハイマー病で脳に蓄積される「タウ」という異常タンパク質が、頭部外傷の後遺症など、一部の高次脳機能障害でも蓄積することが分かってきています。こうした研究が進めば、治療薬の開発も期待できます。我々が開発したV-CBTも含め、さまざまな方法で高次脳機能障害に対処できるようになると理想的だと思います。

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