医学・医療最前線

うつ病の客観的な診断を目指す光トポグラフィー検査( 2010/07/30 )

 今やうつ病はありふれた病気。自分がそうではなくても身近に患者がいるという人は少ないはずです。ではうつ病の原因は何かと問われると、よく分かっていないことも多く、明確に答えることは難しいのではないでしょうか。当然、診断も治療の選択も難しいものになり、正しく診断されていないというケースも少なくないようです。東京大学医学部附属病院では、先進医療として光トポグラフィーという光学的な手法を使った脳の血流量を計ることによって、うつ病の客観的、科学的な診断につなげる技術の開発に成功しています。

自殺大国の影にうつ病患者の急増

 明治時代まで、日本にはうつ病という概念はありませんでした。明治の文豪、二葉亭四迷はロシア文学を翻訳した際にこの病気の和訳に悩み、当てた日本語が「ふさぎの虫」だったという逸話があります。しかし、その後の日本社会でのこの病気の浸透ぶりは周知の通りです。2007年には生涯に1度でもうつ病になる確率は6.7%と報告されています。また長期休業を余儀なくされる病気の筆頭がうつ病であるとされています。

 「心の風邪」などという表現はうつ病がありふれた病気であること、こじらせるとなかなか治らないことの例えとしては秀逸なのですが、どこか軽い病気という印象を与えかねません。しかし、「自殺の前段階」と考えると決して軽く考えることができない病気といえます。

 日本は12年連続して年間自殺者が3万人を超える自殺大国です。90%以上の自殺者の背景に精神疾患があり、そのかなりの割合をうつ病が占めています。「ふさぎの虫」で済んでいた時代とはまさに隔世の感があります。

正確に診断されていない病気

 日本で一生に一度はうつ病になる患者の割合が6.7%というと、国民全体の数にすると膨大な数に上ります。ところが、残念なことに90%の患者は本来うつ病の専門医である精神科ではなく、それ以外の診療科を受診していることが多いようです。初めて受診した医療機関で正確に「うつ病」と診断されるのは10%といわれています。つまり医療機関に受診しても、自分がうつ病であることに気づかない患者が多数派なのです。

 この理由は、うつ病の症状が多彩で、時には、また人によっては身体症状が先に現れて、うつ病の診断がつかないことも珍しくありません。うつ病の精神症状というと気分の落ち込みなどの「感情の障害」、何をする気にもならないという「意欲・行動の障害」、簡単なことが決められなかったり、自分を過剰に否定してしまう「思考の障害」が典型的ですが、めまいや胃部不快感、しびれや冷えという身体症状で現れることも多いのです。

 胃がいつもむかむかしているといって消化器内科を受診しても、なかなか治らない。こんな患者の中には、うつ病の患者が紛れ込んでいることがあり得るというわけです。

専門家でも実は診断は楽ではない

 では精神科を受診すれば、正確な診断ができるでしょうか。もちろんほかの診療科を受診するよりは何倍もいいのですが、実は専門家なら簡単に診断できるという病気でもないのです。専門医は学会などが作成した世界共通の診断マニュアルに基づいた問診で、診断を行います。といっても、なにせ人の頭の中で起こっていることなので、簡単に正解にたどりつくことはできないのです。問診ですから、医師の個性や患者との相性も影響します。

 また、うつ病に見られていても実は躁うつ病や統合失調症など別の脳の病気と区別できにくい患者も珍しくないのです。これらの病気に対する治療法はそれぞれ異なりますので、誤った診断を下せば、誤った治療により病気が不必要に長引いたり、悪化することになります。

光トポグラフィー検査のデモンストレーションの様子

光トポグラフィー検査のデモンストレーションの様子。左の男性が頭に装着している器具によって、脳内の血流量の変化を測定する。器具は帽子を被るように簡単に装着でき、検査で痛みなどの刺激は一切感じない。結果は、右のモニターに瞬時に現れ、確認することができる

 うつ病の診断が問診だけに依存しないとしても、その精度を上げ、より客観的な診断を目指すにはどうしたらいいか。東京大学医学部附属病院精神神経科の笠井清澄教授と滝沢龍助教らがたどり着いた結論は、光トポグラフィー検査を取り入れ、その検査のために4日間、入院する「こころの検査入院プログラム」でした。

 このプログラムでは、心の病気全般について理解する心理教育や心理テストとともに脳の前頭葉の血流を測定する光トポグラフィー検査を実施して、うつ病と躁うつ病・統合失調症の鑑別などを行います。検査入院費用は3割負担の保険診療と先進医療である光トポグラフィー検査費用(約1万3000円)を合わせて7万円前後です。

 

脳の血流量を波形で表示する光トポグラフィーの原理

 光トポグラフィー検査とは聞きなれない検査です。トポグラフィーとは「地形」とか「地図を作る」という意味があります。光トポグラフィー検査は近赤外光という光を脳に照射して、脳の血流を地図のように画像として表し、診断の参考にするというものです。近赤外光とは、可視光よりは波長は長いけれど、暖房器具などに使われる遠赤外線よりは短い光のことです。この検査の特徴は、痛いとか熱いとかいう負担を患者に一切与えることなく、しかも繰り返しできることにあります。

 実際の検査では、頭皮上から頭蓋内に向けて、約2mWの弱い近赤外光を照射します。光は組織内で散乱・吸収を繰り返しますが、一部は反射光として外に戻ってきます。この反射光を測定することによって、頭蓋内の情報を得ることができます。この反射光は脳の血流に影響を受けるので、脳の血流の様子を正確に短時間のうちに知ることができるというわけです。脳血流は外部からの情報刺激によって頻繁に変化します。そして、この変化の様子はうつ病と躁うつ病や統合失調症との間で違いがあることがわかってきました。

 例えば、「あ」で始まる名詞を思いつく限り言うなどの簡単な課題をこなすと、この血流は変化します。この変化をコンピューターで処理し、波形という目に見える形に変換し、それをもとに客観的な診断を行うというのが笠井教授らの狙いです。

臨床症状に基づく鑑別診断との合致率は7〜8割

 光トポグラフィー検査は、独立した診断装置としてまだ確立した検査ではありません。鑑別診断の補助という役割に限定されています。笠井教授によるとうつ病、躁うつ病、統合失調症に罹患している患者の「光トポグラフィー検査結果」と「臨床症状に基づく鑑別診断結果」の一致率は7〜8割だそうです。一致しない2〜3割では、専門家が慎重に検討しないと診断できないことになります。

 データが蓄積されれば、もっと簡便に職場や地域の健康診断に導入されるようになるかもしれませんが、研究途上という性格が強く、現在では検査入院などの専門家による精査とセットでないと、実際の診断には難しいというのが実情です。

 それでも正確な診断を受けたいという問い合わせが、全国から笠井教授のもとに殺到しているそうです。笠井教授は「将来的には、健康診断などでも広く使われ、うつ病の予防に役立つようになってほしい」と話します。自殺大国という汚名返上のためにも、光トポグラフィー診断の普及を期待したいものです。

  光トポグラフィ波形
光トポグラフィ波形 血流量を測定し、それを決められた計算式で処理した結果が、グラフの波形となる。0から10秒の間は何も考えずに「あいうえお」を繰り返すだけなので波形は平坦だが、10秒から70秒の間に、例えば「『た』で始まる言葉を言いなさい」という課題に従い、「たぬき」「たから」「たてもの」などと、考えながら声に出していくと、疾病に特有な波形が形成される。健常者は振れ幅が大きい緑色の線となり、うつ病患者は振れ幅が小さい青色の線となり、波形ではっきり区別することができる



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