※この技術は、2016年から保険適用になりました。
胃潰瘍・十二指腸潰瘍や胃がんの原因菌であるヘリコバクター・ピロリ菌——。感染した胃からの除菌療法が行われていますが、どうしても除菌の成功に至らない患者が一定の割合で存在することが問題になっています。その原因として、ピロリ菌が抗菌薬に対して耐性である場合に加えて、患者自身の薬物を代謝する酵素の活性が高い場合があげられます。浜松医科大学医学部附属病院消化器内科の古田隆久准教授(臨床研究管理センター)らは、患者の薬物代謝酵素の遺伝子検査をあらかじめ行い、検査結果を踏まえてその患者に合った量や方法で薬剤を投与することにより除菌率を高める方法を開発。「CYP2C19遺伝子多型に基づくテーラーメードのヘリコバクター・ピロリ除菌療法」として、先進医療にも認められました。最近は、成功率100%という好成績を上げています。
「Never give up、除菌が成功するまで、患者さんにつきあうことをモットーとして取り組む」 という浜松医科大学医学部附属病院消化器内科の古田隆久准教授
胃潰瘍の内視鏡写真(上)。事前にPPIを分解する肝臓の分解酵素の活性を調べた上でピロリ菌を除菌した結果、除菌に成功した(下)。
(写真提供は、浜松医科大学医学部附属病院消化器内科の古田隆久准教授)
消化性潰瘍の胃潰瘍や十二指腸潰瘍は経験した人にしか分からない辛さがあります。いつも、胃がむかむか、しくしくしていては、どんなに好きなことをやっても楽しさは半減です。医学の世界では、「人を幸せにするのは胃袋である」という名言もあるくらいです。以前はストレスや暴飲暴食が胃潰瘍や十二指腸潰瘍の原因とされていましたが、1980年代に入って細菌のヘリコバクター・ピロリ菌(ピロリ菌)が犯人であることが明らかになりました。
昔は、胃は、高濃度の塩酸からなる胃酸があるため、細菌が棲めるような環境ではない、というのが医学の常識でした。しかし、胃にピロリ菌が発見され、その後の研究で、ピロリ菌が酸を中和する能力を持っているなどが明らかになりました。そして、抗生物質で除菌すると、胃潰瘍や胃炎が治ってしまうことが明らかとなり、“ピロリ菌主犯説”は確固なものとなりました。
その後、ピロリ菌が胃がんの発症にかかわっていることも明らかになりました。内視鏡手術を受けた人たちに除菌を行うと再発率が有意に低下するという研究結果を一昨年、日本の研究チームが国際誌に発表して大いに注目されています。何十年もピロリ菌が感染したままでいると、胃の粘膜細胞に変化が積み重なって、がんが発生しやすくなるのです。
日本国民のピロリ菌感染率は、20歳代で20%台と低いですが、50歳代で63%、60歳代で70%と、高齢者の感染率が高くなります。これは、生まれた時代の環境によると考えられており、将来はピロリ菌の感染率は低下することが予測されています。しかし、現時点では、胃がんになりやすい年代の方々のピロリ菌の感染率は依然として高いわけであり、ピロリ菌の除菌は胃がん大国日本にとって、今最も重要な医療上の課題だといえます。日本ヘリコバクター学会では昨年、「胃がん予防のため、胃・十二指腸潰瘍患者以外でもピロリ菌保持者には除菌を勧める」という指針を発表しています。
では、ピロリ菌はどうやって除菌するのでしょう。その方法は既に確立しています。標準的な除菌療法ではクラリスロマイシン、アモキシシリンという2つの抗生物質、そして胃酸の分泌を抑えるプロトンポンプ阻害薬(PPI)の3剤を同時に使用します。これらの薬物を1週間飲み続けます。除菌療法でPPIを併用するのは、胃酸分泌を抑制しないと抗生物質がピロリ菌を攻撃する前に胃酸で分解されてしまうからです。この除菌療法は90年代から普及し、2000年には胃・十二指腸潰瘍の患者に限定して、診断法とともに保険適用になりました。
ピロリ菌除菌の成功率は、PPI分解酵素(CYP 2C19)の「遅く代謝するタイプの人」が最も高い。
(資料提供は、浜松医科大学医学部附属病院消化器内科の古田隆久准教授)
この治療法は有効性と安全性が確認されていますが、最近問題になっているのは、その除菌成功率の低下です。東京の医療機関10施設の除菌成績について、01年は78.5%だった成功率が、07年には67.4%に下がってしまったと報告されています。「除菌率低下の理由は2つあります」と、古田准教授は説明します。「1つはクラリスロマイシンに抵抗性のあるピロリ菌が増えていること、もう1つはPPIを普通の人よりも迅速に分解してしまう体質の人がいるということです」。
抗菌薬を2つ使用するのは、その相乗効果によって高い除菌効果が得られるからです。クラリスロマイシンに耐性がついた場合は、代わりにメトロニダゾールを使うこともあります。また、アモキシシリンに対してピロリ菌が耐性を獲得する頻度は非常に少ないため、アモキシシリンは有用な抗生物質ですが、PPIの分解が早く、十分な効果を発揮する前にPPIが血液中から消えてしまうような人では、胃酸の分泌を十分に抑えられず、アモキシシリンが胃酸によって分解されてしまい、その効果が見込めなくなります。
そこで、クラリスロマイシン耐性の有無と患者のPPI分解酵素の強さを事前に知ることができれば、それに応じた治療方法を選ぶことができます。
古田准教授は、PPIを代謝する酵素であるCYP2C19の遺伝子のタイプを個々の患者で調べて治療に応用する方法を確立しました。CYP2C19の遺伝子のタイプ(塩基配列)には個人差がありますが(遺伝子多型)、この個人差をPCR法という分子生物学的手法を応用して調べます。これらの遺伝子のタイプから「早く代謝する」「遅く代謝する」「その中間」の3グループに分けることができるようになったのです。
もし、患者が「PPIの分解が早いタイプ」と判断されれば、使用するPPIの投与量や方法を見直したり、別の制酸薬であるH2阻害薬を使うなどの方針で除菌に臨むことができます。同大学では、昨年約70人の患者に対して、この方法を利用した除菌を行いましたが、失敗は1例もありませんでした。
このように、患者一人ひとりの遺伝子のタイプを調べて、薬物の効き具合など、個別に応じた治療を行うことが、治療の成功率を上げるのです。これはテーラーメード医療(または、オーダーメード医療、個別化医療)と呼び、遺伝子解析技術の進歩により、最近注目されるようになりました。
事前に、患者一人ひとりのPPI分解酵素(CYP 2C19)の代謝のタイプが、どのタイプであるかを調べることで、除菌の成功率を高めることができる。
(データは03年から06年にかけて取得。提供は浜松医科大学医学部附属病院消化器内科の古田隆久准教授)
受診を希望する患者の中には、「別の医療機関で除菌に失敗したので、もう失敗したくない」という方が多いそうです。また、「最初から失敗したくない」という患者も少なくありません。また、以前よりも胃がんを気にして受診を希望する患者も増えているそうです。「親族に胃がん患者が多くいるという方は、深刻に考えているようです」と古田准教授は説明します。
この検査は07年3月に先進医療の対象となり、1回1万2000円で受けることができます。先進医療の対象ですから、除菌やそれに伴う治療費は健康保険での支払いが可能です。胃がん予防にもつながることを考えると、除菌法の保険適応が拡大することが期待されています。となると、失敗リスクを回避する浜松医大のこの遺伝子診断法にも保険が利くとよいのですが、現在のところ、保険適応の動きはありません。当分、先進医療という仕組みの下で、利用されていくことになりそうです。