医学・医療最前線

世界初、iPS細胞により脊髄損傷を治療する臨床研究( 2020/06/26 )

 2012年に京都大学の山中伸弥氏がノーベル生理学・医学賞を受賞したことで、多くの人に知られるようになったiPS細胞(人工多能性幹細胞)。このiPS細胞を使って神経前駆細胞(神経のもとになる細胞)を作り、患者に移植することで脊髄の機能改善を目指す臨床研究が2019年に始まりました。世界初となるこの研究について、慶應義塾大学医学部生理学教室教授の岡野栄之先生に伺いました。

ポイント

  • ・ 脊髄損傷に対する有効な治療法は確立されておらず、現段階ではリハビリテーションで機能の回復を目指すのが唯一の方法となっている。
  • ・ 今回の臨床研究は、iPS細胞から神経前駆細胞を作って患者に移植するという、世界で初めての研究である。神経前駆細胞を移植することで、損傷した神経が再生されて、運動や感覚機能が改善することが期待される。
  • ・ 現在、移植細胞の品質チェックが最終段階に入っており、今後患者に細胞が移植される予定。今回対象となっている亜急性期の脊髄損傷※だけでなく、慢性期の脊髄損傷を対象とした臨床研究も準備が進められている。
    ※亜急性期の脊髄損傷:受傷後 14~28 日の脊髄損傷。

有効な治療法がない脊髄損傷


慶應義塾大学医学部生理学教室教授の岡野栄之先生

 脊髄損傷とは、交通事故やスポーツによるけがなどが原因で、脊髄が傷ついてしまった状態のことです。脊髄は背骨の中を通る神経で、脳からの指令で筋肉を動かしたり、身体の各部位で感じた感覚を脳に伝えたりしています。脊髄が損傷すると、損傷部分から下の部分と対応している身体の部位と脳との間で情報伝達ができなくなり、手足の麻痺などが生じます。重症の場合は、寝たきりまたは車椅子での生活を強いられることもあります。

 脊髄損傷は生活に大きな支障をきたす病態ですが、有効な治療法はまだ確立されていません。以前はステロイドホルモンの大量投与が救急時の標準治療とされていましたが、近年では有効性や安全性が疑問視されており、実施しない医療機関が増えています。現状では、リハビリテーションを行って、残った身体機能を少しでも回復させるように努めるしかありません。

iPS細胞から神経のもとになる細胞を作製して移植

 岡野先生のグループでは、亜急性期(受傷後14~28日)の脊髄損傷の患者を対象として、iPS細胞を使った臨床研究を2019年に始めました。主な目的は、移植細胞と移植方法の安全性を確認することで、脊髄損傷に対して移植細胞や移植方法が有効かどうかも調べます。

 iPS細胞とは、人体のあらゆる細胞に変化することができる細胞で、ヒトの皮膚や血液から細胞を採取して培養することで、人工的に作製します。

 今回の臨床研究では、京都大学 iPS 細胞研究所(CiRA)から提供された再生医療用 iPS 細胞を使用します。そして、慶應義塾大学と国立病院機構大阪医療センターで、そのiPS細胞から神経前駆細胞を作り、凍結保存しておきます。臨床研究の参加基準を満たす脊髄損傷の患者から、研究参加への同意が得られたら、凍結しておいた神経前駆細胞を解凍して最終調製し、脊髄の損傷部位に直接注射して移植します。神経前駆細胞を移植することで、傷ついた神経が再生され、運動機能や感覚が回復することが期待されます。

 神経前駆細胞を移植した後は、約1年間の経過観察を行います。その間、免疫抑制剤を半年間投与します。これは、使用するiPS細胞が他人の細胞から作られたものであるため、拒絶反応を防ぐために必要な薬です。また、国立病院機構村山医療センターで、保険診療で定められた範囲内のリハビリテーションを行います。

今回の臨床研究の概要
今回の臨床研究の概要

 今回の臨床研究は、ヒトの脊髄に神経前駆細胞を移植するという世界初の研究であり、副作用が生じる可能性も否定できません。しかし、患者に細胞を移植する前に、動物実験を行ったり、細胞の遺伝子に異常がないかどうかを調べたりして、移植する細胞の品質を見極めます。「考えられるリスクは事前にできる限り排除してから、患者さんに移植を行います」(岡野先生)。

慢性期の脊髄損傷に対する研究も進行中

 この臨床研究は現在、移植に使用する細胞の品質チェックが最終段階に入っています。動物実験による長期的な観察や、遺伝子の解析などを経て細胞の品質に問題がないことが確認され、移植を行う体制が整った段階で、亜急性期の脊髄損傷の患者を募集し、4人の患者に神経前駆細胞の移植を行うことになります。

 今回、亜急性期の脊髄損傷の患者が対象となっているのは、受傷後比較的早期であれば、神経前駆細胞の移植が脊髄損傷に対して効果的な治療となる可能性が高いことが分かっていたからです。一方、受傷後6ヵ月以上経過している慢性期の脊髄損傷については、損傷から時間が経ってしまうと傷ついた神経の再生が難しくなり、機能回復は困難と考えられていました。

 しかし、岡野先生のグループは2018年に、慢性期の脊髄損傷に対しても、動物実験で運動機能の回復や維持に成功しました。今後、慢性期の患者に対する臨床研究も開始される予定です。「亜急性期の脊髄損傷の患者さんは年間5,000人ほどですが、慢性期の脊髄損傷の患者さんは10万人以上います。慢性期の患者さんに対する研究が進むと、より多くの患者さんに対して、身体の機能を回復できる方法を提供できるようになるかもしれません」(岡野先生)。

 さらに、少しでも早く実用化につなげられるよう、企業と協力してシームレスに治験を実施するための準備も並行して進められています。そう遠くない未来に、脊髄損傷に対する有効な治療法として、iPS細胞から作られた神経前駆細胞の移植により多くの患者が救われることが期待されています。

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