内視鏡による甲状腺がんの手術
日本医科大学付属病院 外科・内分泌外科
( 2016/09/26 )
※この技術は、2018年から保険適用になりました。
甲状腺がんは女性に多い病気ですが、ほとんどは進行がゆっくりで、治る確率も高いがんです。甲状腺がんの多くは、手術が治療の基本となります。ただ、これまでの手術では首の下にネックレスをかけたような傷が残り、女性にとっては美容上の問題がありました。この問題を解決するのが、内視鏡を使った手術です。日本医科大学付属病院内分泌外科准教授の五十嵐健人先生は「内視鏡手術は、患者さんの体への負担が少なく、美容上のメリットも大きい」と話します。「内視鏡下甲状腺悪性腫瘍手術」を数多く手がけ、保険適用を目指す五十嵐先生にお話をうかがいました。
ポイント
甲状腺は、喉ぼとけのすぐ下に位置し、気管に「蝶」の形で付着している小さな臓器です。全身の新陳代謝や成長の促進にかかわる甲状腺ホルモンを分泌する体の中で最大の内分泌腺です。
甲状腺ホルモンの分泌のバランスが崩れると、さまざまな症状が現れます。例えば、甲状腺ホルモンの量が多すぎると、新陳代謝が活発になりすぎて、汗をたくさんかいたり、食欲旺盛なのに体重が減ったりします。逆に甲状腺ホルモンの量が少なくなると、新陳代謝が悪くなり、寒気がし、皮膚が乾燥したり、食欲がないにもかかわらず体重が増えてしまいます。このような症状がある場合、甲状腺の病気の疑いがあります。主な病気は、甲状腺機能亢進症、甲状腺機能低下症、甲状腺がんなどで、それぞれ症状も治療法も異なります。
甲状腺がんは、甲状腺を構成している細胞が、がん化して悪性の腫瘍となったもので、乳頭がん、濾胞がん、髄様がん、未分化がん、悪性リンパ腫の5つの種類があります。このうち、甲状腺内視鏡手術の対象となるのは、乳頭がん、濾胞がん、髄様がんの3つです。
乳頭がんは、甲状腺がんの約9割を占めます。40~50歳代の女性に多く、男女比は約1対8で、女性に多いのが特徴です。がんの進行は極めてゆっくりで、術後の経過も良く、手術を受けた患者さんの10年後の生存率は90%以上と非常に高い手術が有効ながんといえます。
濾胞がんは、乳頭がんに次いで数が多く、甲状腺がんの5~8%を占めています。やはり女性に多く、発症年齢は40~60歳代がほとんどです。がんの進行も乳頭がん同様ゆっくりですが、血液を通して肺や骨などへの転移も多く、その結果生存率は乳頭がんに比べると少し悪くなります。
髄様がんは、甲状腺がんの1~2%と少ないのですが、2~3割は遺伝子異常が原因で発症する家族性甲状腺がんであることが分かっています。
甲状腺がんの多くは自覚症状がありません。喉のしこり、喉もとの違和感、痛み、飲み込みにくさ、声のかすれなどが現れて受診する人もいますが、ほとんどの人は、健診などで超音波検査やCT検査を受けた際に甲状腺の異常を指摘され、専門医に紹介されています。例えば、動脈硬化症の疑いがある方が検診で頸動脈のエコー検査を行ったところ、頸動脈の近くにある甲状腺の異常が発見されたケースがあります。また、肺炎や肝がん検診などで胸部のCT検査を行った、その際に甲状腺の腫れやしこりが発見されることもあります。
甲状腺の異常の疑いがあるとされた方には、症状の有無やご家族の病気の有無、これまでかかった病気などについて話を聞きます。それから、皮膚の上から甲状腺を診察し、しこりの有無や大きさ、広がり、硬さなど、周囲のリンパ節の触診を行います。
腫れなどの異常がある場合は超音波検査を行い、さらに甲状腺がんの可能性があると判断した場合は穿刺吸引細胞診(せんしきゅういんさいぼうしん)を行います。これは甲状腺のしこりを構成する細胞を吸引し、その細胞を病理医が診断する検査です。こうした検査の結果、甲状腺がんと診断した場合には、治療方針について患者さんとご家族に説明し、話し合いながら治療へと進んで行きます。
甲状腺がんの治療は、病状に合わせて、経過観察、手術、放射線ヨード治療、化学療法などがあります。例えば、最も患者が多い乳頭がんの初期には、がんの大きさが1cm以下の「微小がん」という状態があります。もともと予後のよい乳頭がんなので、手術をせずに経過観察をする医療機関もあります。
五十嵐先生は「微小がんに対しても、私たちはがんが存在している部位が反回神経に近いものや気管支に接している場合には手術を行うことがあります。小さくてもリンパ節転移を伴う症例や経過観察をしていて増大傾向を示すものもやはり手術の適応となります。また長期におよぶ経過観察に不安などを訴える患者さんは、病状を判断して十分説明したうえで患者さんとともに治療方針を決定していきますが、その結果、手術を施行するという場合もあります。なぜなら、がんが体にあり、長い期間にわたり経過観察をしていくので、毎日が不安だという患者さんもおられるからです」と語っています。
従来の手術は、首の下を横に7~8cm切開し、そこから甲状腺のがん組織を切る方法です。しかし、甲状腺がんは女性の患者さんが多いこともあり、露出する機会が多い首の下に傷が残ることを気にする方が少なくありません。傷痕を気にするあまり、対人関係が変わったり、ケロイド体質の人は特に手術痕が目立ってしまったりと、患者さんのQOLへの影響は少なくありませんでした。
そこで日本医科大学付属病院では、10年前から1cm以下の微小がんに対して内視鏡を使った手術を実施しています。これは、左右の鎖骨の下を3~4cm切開して、そこから治療用の器具を入れて手術を行なうものです。手術する甲状腺を見るための内視鏡は首の横に5mmほどの穴を開けて入れます。鎖骨の下の傷は服を着れば隠れますし、首の横の小さな傷はほとんど目立ちません。
五十嵐先生は「10年前から、甲状腺がんの内視鏡手術を行なってきましたが、2014年からは『内視鏡下甲状腺悪性腫瘍手術』として、厚生労働省の先進医療Aとして承認されました。それまでは1cm以下の微小がんで、がんが甲状腺の中にとどまっている場合に限定して、慎重に手術の経験を積み重ねてきました。先進医療として承認されて以降は、がんが甲状腺の中にとどまっている限り、大きさにかかわらず内視鏡手術の適応になりました。
日本医科大学付属病院(外科・内分泌外科)の五十嵐健人先生(准教授)
内視鏡手術は、胃や腸などの消化器だけでなく、いろいろな病気の治療に使われるようになりました。「治療前の診断と、実際に手術を始めてから分かることが異なるケースもあり、例えば、部分切除を行う予定で内視鏡下手術を初めても、周辺のリンパ節に転移していたために、通常頸部切開手術に切り替えることもあります。しかし、私たちの10年にわたる内視鏡手術の中で、途中で従来型の手術に切り替えたのは77例中3例だけです」(五十嵐先生)。
内視鏡手術のメリットは、治療後の傷が小さいことだけではありません。内視鏡によって手術する部位がモニターで拡大されるので、甲状腺の近くにある神経や副甲状腺など細かい部分もよく見え、誤って傷つける危険が低くなります。さらに複数の医師や看護師がモニターで同時にチェックしているので、判断ミスも少なくなります。従来の手術と単純な比較はできませんが、安全性と有効性については、同等かそれ以上だとされています。
従来の手術では、首を動かしたときの引きつれ感や、ものを飲み込むときに喉の皮膚が引っ掛かるような違和感を訴える方もいましたが、内視鏡手術を受けた方はそのような訴えもなく、満足度は高い傾向にあります。
今後の課題について五十嵐先生は、「現在は当院を含めて全国で6施設のみで行われているこの手術を、技術指導などを行いながら、少しでも多くの施設で行えるようにすることです。もちろん、手術の技術だけではなく、この手術が適しているかどうかを正しく診断する技術も伝える必要があります」と語っています。
甲状腺の良性腫瘍の内視鏡手術は、2016年4月に保険適用になりました。甲状腺がんについても少しずつ確実に実績を積み、保険適用になれば、より多くの患者さんのQOLが向上すると考えられています。